思索

-起- それは下剋上な物語

久禮のFacebook。読み方に本来“正しい”も何もないのだが、やはりちょっぴり“間違った”読み方なんてのは、ある。

■17.06.25(日)【浦安】ランチ:T嬢
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承認欲求の健全な満たし方

お会いして早々に上田さんに検分され言われる。

17.06.10(土)【GSA】パーソナルトレーニング(加圧0.5h):上田さん
「いいですね、小さくなってますね!」

おおおこれまた嬉しい!! しかも早々に言われるとはなかなか。
飯盛さんに“デカくなった”言われてきました!と報告すると、四肢と体幹近くの違いを言われる。
四肢の筋肉が際立ってきた分がデカく見え、体幹に近い部分が絞れてきてるから小さく見える。
おんもしろいよなぁ……“デカく”も“小さく”も見える、この変化。
だとすると自分で恐れたような“餓鬼っぽさ”はないと見受けられる。ちゃんと生気溢れた野生っぽい人間に近付けてるかな?

飯盛さんに言われた。

「ちゃんとしたトレーナーについてると、違いますからね。」

ほんとですよね。格闘技練習と身体作りは、別々に考えて取り組まなきゃいけないんだ。
上田さんに身体作りを教わりだしたのは、格闘技を始めてから半年は経っていた。今思うと、あんなにヒドい状態の身体で節操なしに練習しまくってたのは危なかった。
だからこそボロボロになり、身体について真面目に考える土壌が出来て、上田さんの教えが凄い勢いで染みこんだのだが。

“困らないと変われない”。
これってほんとだ。

なので、“困ってる”と言いながら“変わらない”人はほんとは困ってないのでしょうね、というお話。
何を“恥ずかしい”と思うのかは人それぞれの価値観で自由だし、いいんじゃ?と思いポーカーフェイスで聞くつもりだったのだけど

「本音が出てる」

的な指摘を受ける。基本、顔に全部出る。うむ。

まーなんつーか……承認欲求は人である以上、絶対存在する仕様。
その仕様を活かせずに振り回され、甘ったれて他人様の時間とエネルギーを奪うのが1番浅ましくて醜悪で恥ずかしい生き方だよな。気付くの難しいし、私もやらかしたことが多々ある。
自省込みで思うが、あーいうのって、ストロークなら何でもいいって言うのが浅ましい。“巻き込む“巻き込まれる”になったら距離おいて逃げるが吉だよなー。
承認欲求は活かせれば、他人様にまでしあわせを広げられるこの上ない優れた仕様。だけど、難しい。
それでも私は、気付けたものな。他人の振り見て我が振り直そう。

そう……“望みを素直に叶えに行く”のは、意外と難しい。

“承認欲求を直視して、いかに綺麗に叶えるか?”

それには“変化”が必須だが、脳みそは“変化を恐れる”。ストレスだもんね。
それを超えて、変化したいと願う自分を受け入れる、力と勇気。
成功体験でコツコツ築くしかないけど、疑似体験もありなのかな。

想像力が健全に備わってれば、ヒーローに重ね合わせて疑似体験できる。成功も、失敗も……失敗を活かし立ち上がる姿も。
“他人事にせず、自分に重ねて見る姿勢”は活きるのだろなぁ。ただ、“自分と他人の境界を引く”のが大前提。凄いのはヒーローで、自分じゃない。

ならば怖いのは、誰かに重ね合わせて“自分が勝った気になること”。“負けた姿から目をそらすこと”。

自らは安全な場所にいるばかりで。
負けることすら出来ないこと。
それに気付けないこと。

負けの方が多いのだ。遙かに。
柳井正さんは『一勝九敗』、安藤忠雄さんは『連戦連敗』。負け方を知ってるから、勝負に出続けられる。だから数少ない勝機をつかめる。
生きてる限り、勝負は続く。一時的な負けは、恒久的な負けを意味しない。だから死ぬまで終わらない。終わってくれない。
どんなすごいヒーローも、私の勝負で私の代わりに勝つことは出来ない。
私の勝負は、私のもの。
ヒーローの勝負は、ヒーローのもの。

自分が凄くなるには、自分のことを、がんばらなくちゃね。ヒーローに、力と勇気をもらって。

「あの人があんなにがんばってるのだから、自分もがんばるんだ。」

そう思える人にどれだけ出逢えるか。
それは間違いなく人生の豊かさを示す指標のひとつだろう。
私の人生は豊かだな。ありがたいことに。
自分も、そう思われる人で在りたい。
それこそが、健全な承認欲求の満たし方だろう。

トレーニングはきつめ。
小さくなってる分、馬力が下がる。望む自分に近付いてる証。
それでも意地でもこなしてみせる。もっともっと、力が欲しい。

[Facebook記事]

母の日 / 再会を夢見て

実家近くに引っ越して、7ヶ月経ったのか、と気づく。

17.05.14(日)母の日
何年ぶりかな。母の日に何かしたいと思ったのは。

「お祝いしてもらうのなんて生まれて初めて!」

という母の何回目かの台詞に、とほほな気分になりつつも、いつものことなのでよしとする。
父は用事が入り、母と兄と3人でランチ。候補の中から母が選んだのは、中目黒のロティサリーチキン。
以前は強固に出かけるのを嫌がった母は、だいぶ柔らかくなった。緊張する風情は見せるが、激しく嫌がりはしない。変わったものだ……
兄もメールの返事が本当に早くて、考えてるし喜んでくれるのを感じる。嬉しい。

目黒川沿いを物珍し気に歩く母が可愛い。
ロティサリーチキンは美味しかった。味付けなしに慣れた舌には濃いが。兄のワインが進む。
六本木に出て公園でお散歩。兄がハイボールをチェックしてて芝生でプチピクニック。本当にお酒が好きなのだな。オールフリーでお相伴にあずかる。

夜、花束と、今日の写真と、それから昨年秋に横浜散策した際に書いた文章と写真を印刷してプレゼントした。ようやく渡せた。
母はすでにあの頃のことをきれいに忘れていて、

「こんなことあったのー?」

と言いながら嬉しそうにページを繰っていた。毎日読むそうだ。翌朝も読んでたからほんとかもしれない。
読んでも忘れるから、読むたびに新鮮、とのこと。凹みもするようだが。
いいんだよ、今度、それをガイドブック代わりにまた横浜に行こう。

あのとき、書いたこと。

「いいんだよ、忘れても別に。また行けばいいし。
それに忘れてもいいように、こうして写真をたくさん撮ってたんだ。
何度でも見て、何度でも楽しいことを、思い出そうよ。」

「ボケていいよ。それでしあわせに笑えるなら、さ。」

母だけじゃない。人間だれでも、至上命題は同じ。

  【しあわせになること】

「お母さんがしあわせに笑えるなら、他のことはどうだっていいんだよ。
だからなるべく楽しいことだけ、たくさん覚えていようよ。
こんなふうに楽しかった写真をたくさん残してさ。」

「書いて! 今言ったこと、メモに書いて! また忘れちゃうから!
そうじゃないとまた、お母さんは間違えるから!」

涙ながらに懇願する母。いやいや。

「いいんだよ、忘れても。間違えても。」

“間違える”なんてことが、この世にあると私は思ってないけど。

「別に忘れても、またこうして言うから。」

それこそが私がここに引っ越す理由。

「格闘技で、教えてもらったんだよ。こんなふうにさ……」

手打ちで軽くワンツーを打ってみせる。

「少しは殴るフォームがふつうの人よりは様になってるよね? これって練習したからで。こういう動作もそうだし、ものの考え方も。

ぜんぶは、神経回路が、司ってる。

神経回路を作るには、2万回繰り返すことが必要なんだってさ。
お母さんの場合は半分ボケてるから3万回と思っておこうか。お母さんが『楽しいことを憶えておこう』って自然に思えるまで……つまりは、神経回路ができるまで3万回、私はお母さんにコツコツと言い続けるよ。」

そのために、私はここに引っ越してくるんだ。コツコツと言い続けるには、横浜は遠いから。
自分で自分をしあわせにする方法。一緒にやろう。

3万回もコツコツ言っていないのだが、母は『楽しいことを覚えておこう』と自然に思うようになった。毎日、コロコロとしあわせそうによく笑う。
記憶が怪しくても、思考能力ははるかに高い母に、私は最近、悩み相談もできるようになった。幼いころからは考えられない。
あと何年あるかわからないが、ただこの瞬間を楽しんでいこうと思う。

閑話休題。いろんなことがあったもんだ。
ある方に、とても不快な……怖い思いを、させてしまった。”忠告”という名目で、害意と悪意を込めた言葉を言わせてしまった。
久々に浴びたいわゆる”ディスる”単語の数々はなかなかくるものがあった。胸を氷でえぐられるような感覚。身体の中の大事な何かが冷えて凍る。そして、何を言ってももう、言葉が届かないであろうと感じる、空虚感。
あれらの言葉を吐き出すに至った心理状況は、推測に過ぎないが、なんとなくわかる……たどることができる……

一度生まれた負の感情を、浄化するまでひとりで抱えるのは重い。
害意と悪意の向こうに、悲鳴が聞こえた気がする。怖くて泣きたかったよな。
私にぶつけねばその方は。
しかもその方に生まれた負の感情は、本を正せば私が伝染させたものだ……
私が負の感情にまみれていたとき、気づき、寄り添い、落ち着くようアドバイスをくださったのはその方だった。あの寄り添い方、あのアドバイスはあの方でなければできなかった……
そのおかげで、私は救われ、本当に大切なモノをこの手でまた強く握りすぎて壊す危機を回避することができた。
でもその方は私に振り回される形になった。私の負の感情に触れすぎ重ねすぎてしまったのだ……お優しく、聡明な方だから。感受性が豊かで、繊細で柔らかく、無神経に生きていくにはまともすぎる……だからこそ、伝染ることもできた。胸が痛い。
ならば、この感情は、再度、私が受けるのが筋。今の私なら、再度、伝染っても今度は自力で消化できるから。

あの方は気づいてただろうか。
自らが発した言葉は、自らに還る。賞賛も、忠告も。

人は投影なしには世界を観ることができない。私を表したあれらの言葉はすべて、確実に私の本質をついていた。とても痛かった。
同時に、あの方自身の本質を突いた言葉でもあっただろう。よく似ているから。
だからあの方は、私を理解できた。寄り添い癒すことも、逆に、凍るほどに傷つけることもできた。あれらの言葉は、あの方自身の本質をも、突いている。

いてーな。いろいろと。どう消化したものかな。
扱いあぐねて困りつつ、もらった言葉を並べて転がしながら……ある方を思い出していた。

“自らが発した言葉は、自らに還る。”

これは私のオリジナルではない。教えこんでくださった方がいた。
あの方は……あんなに親身に案じて教えてくださるまでに、どんな経験をされ、どんな想いをされたのかな……と想いを馳せていたら……
同じような経験をされたのかな、と浮かんだ。

そもそもこれらの言葉……教えてくださったあの方を想起させる。私たちよりむしろ、あの方のほうが色濃い。そして上回って結実させて大きな何かを成し遂げてる……私にとって、格闘技の入り口になった、とても大好きな、尊敬する格闘家。格闘技に全く無縁の生活をし、あのまま一生を終えるはずだった私にまで届くくらいに、門戸を広げていてくださった、あの方。私にとっての格闘技が”とても、真剣で楽しくて暖かくて優しい”になった……生まれてきてよかったって実感を、最っ高のしあわせな出逢いの数々を、贈り物を、私にくれた方。
あれは、あんな言葉で表現される性質を持たなかったら、成し得ぬことじゃないか?
そんな視点で見てみたら、もらった言葉はすべて、格闘家として上手く強くなり、もっと上に行くには必須の性質ばかりに見えた。いい・悪いは置いといて、とにかく強烈にこれらを持ち合わせたうえで、適切な方向に放出せねば、強くて魅力的な格闘家にはなれない……さらにその先……人に強く深く広く影響を与えられはしない……

そうか、似てるのか。私は。あの方に。
格闘家として必須の強烈な性質が。

気付いた時のゾクゾク感。
そっかぁ……どんなに技術なくてもフィジカル残念でも、練習できてなくて、この先どこにもたどり着けなかったとしても、それでも私の性質だけはいっちょ前に、格闘家なのか。
だって……誰があの方が格闘家であることを否定できるよ? 元世界チャンピオンを。ただ強いだけじゃない。魅力的で、目が吸い寄せられる……強烈な艶やかさ。
そんな方に、格闘家として必須の性質が似てるなら。
“私は格闘家なのかもしんない”と初めて自ら思えた。痺れるほど、嬉しかった。幸福、だった。

私がもらったあれらの言葉は、賞賛の言葉だ。私は、”闘う人、格闘家としての性質を持ち合わせている”、と。
でも振り回されぬようコントロールせねば、本当の意味で格闘家にはなれない。
コントロールできてないから、あれらの言葉が害意と悪意をまとい傷つけあう言葉になる。
コントロールできれば、たくさんの人をしあわせにする能力を示す、この上ない賞賛の言葉になる。
方向をコントロールしたうえで、これでもかと上空高くぶっ放して突き抜けさせればいい。遠慮も躊躇いも要らない。そんなものは推進力を損なわせる。方向だけ気を付けたら、あとはただただとにかく、放出すればいい。
遠く。どこまでも遠くへ。
それだけのことだ。

いつか気づくだろう。
クズに魅入られて見つめ続け、自らもクズだと言ってしまうあの方も。あの方は本来、自身を”クズ”だと自認してしまう状況に甘んじられるような、ぬるい方ではない。
だってあの精神、あの身体は、自ら闘う人でしか勝ち得ない、素晴らしいモノだったから。
変化が急すぎたから、環境も心も頭も追いつききれてないだけ。
すべてを麻痺させていたから、あの場所にいられたのだ。
ハッキリと覚醒した身体と心と頭で世界を見渡したら、いずれ気づく。
今いる場所が、自身の居場所じゃないって。居心地が悪い、って。
やがて、言語が通じなくなったことに気づく。
そして、そこでは自らの本当の望みが叶わないことに気づく。
そうしたら、そこにいるのに耐えられなくなる。

誰しも抱く本当の望みは”理解者を得る”こと。
仲間を……友だちを、得ること。
そこには、いない。

時が来たらいずれ、自身のいるべき場所へと歩き出すだろう。何を案じる必要もない。
私は、先に行く。私のいるべき場所へ。

あの最悪のときに、害意と悪意をぶつけられても私はブレなかった。
私は、そんな人間になれていた。
話すうちに、自分の為すべきこと、為したいことがくっきりとわかった。
私は、あのままだったら後悔した。
そう気づかされた。
告げた自分の言葉で自分の背中を押し、ようやく自分の手で退路を断てた。
心から、感謝している……どんな痛い出来事も、私はすべて、糧にしてみせる。

強くなる。
守れるように。
出来ることを、増やす。

縁があったら、いつかまた交差する日も、くるだろう。歩き続けていれば、いつか。
再会を夢見て。

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