アフタヌーンティーが呼び起こす、食事の記憶と願い

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週末、雨続きだなー。

17.04.09(日)アフタヌーンティー
娘がアフタヌーンティーを食べてみたい、というので調べてリストアップした。
紅茶の美味しいところ、春っぽいところ、ホテルな感じ、執事喫茶。
娘が選んだのは、紅茶の美味しいところ。ほぅほぅ。

アフタヌーンティーは久しぶりだ。3段プレート、テンション上がる。3つ並ぶ姿は迫力あるなぁ。
いろんな話をしたが……

もし私が高校生くらいに戻るならスポーツ・体育系の大学に進学したいんだよねぇ。解剖学とか人体も……どう抑え込むと効率的か、とか……と言ったら、

「ああ、こういうこと?」

と、娘にいわゆる”第三の目”あたりをぴっと人差し指で突かれた。
うちの娘ったら……(●´ω`●)

「私だったら刃物使いたい。徒手空拳はまどろっこしい。」

武術寄りだねぇ。こんなふうに腱をすぱーんって斬って頸動脈を、なんてのも教わったよ。

「うーん、もっとじわじわとがいい。拷問?」

うちの娘ったら……∑ (○Д○;)

でも運動をすることに意義を見出せない、意味が解らない、という娘。
一緒に住んでた頃の私と言ってることが同じだと、旦那だった人に笑われる。そんなこと言ってたかな? 覚えてないが、確実に言ってそうだな。
何かこう……私の血が妙な感じに色濃く濃縮されてるな? 面白い……

最近はロシア語からドイツ語にも興味がいってるらしい。興味がある国は、ロシア、ドイツ、イタリアも少々、スウェーデン、などなど……偏ってるな。
日本の古代はそう興味がないが自衛隊が好き。ふむ。偏りが顕著。

プロテイン、って単語を「プロイセン?」と聞き間違えられたあたりから、何やら濃い話をされる。
ヘタリア?? スマホで検索して画像や文章を見せられる。ほぅほぅ。そういうことね? これは腐系の方々が好きそうね。

「ああ、お腐れ様ね?」

最近はそういうのね? 旦那だった人には通じないようでふたりで笑う。
凝った設定で面白い。これなら私も少し興味わく。そして娘の説明が止まらない。ほんとに好きなのね?
娘と話が盛り上がれるなら、嗜んでみたいかも。

また再来月あたりに会う約束。誕生日プレゼントにもふもふのぬいぐるみをあげる約束をしたが好みがわからない。
ハクタク様のしっぽ? よくわからないが調べてみよう。
食べ物のリクエストはパスタ。今度はゆでた小麦粉系か。たまにはよいな。

またね、と別れる。
腹具合を確認して、変わったな、と思う。焼いた小麦粉がこんなに入らないとは。
半年前の、心理の師匠の言葉を思い出す。

「お腹がいっぱいなのに食欲が止まらないのは、それだけ危機的な状況だからですよ。」
「脱したら落ち着きますから。今は、食べてください。」

あのときの私には、あれは当たってた。
遡ればさらにその前、結婚してた頃も。その前も。
精神的なものが食欲にはずいぶん影響するものだな。精神なのか、意識なのか……

変わったよな。
運動に意義を見出せなくて、食べたいものをそのまま食べてた私が、ちゃんと調整してきたものなぁ。
過去、どんな理由でも変わろうと本気では思えなかったのに。今は、こんななんだな……

私の”食べること”に対する執着ってなんなんだろなーと考えていた。美食ってわけでもないのだ。舌は鈍い方。並ぶの嫌いだから行列店には行かないし、わざわざ遠くに食べに行ったりもしない。作る時間と食べる時間のコスパが合わないので、凝った料理は作るの好きじゃない。
とすると何に執着してるっけ?
と考えたら、根深いものだな、と思いだしてきた。

幼い頃、食事は楽しいものではなかった。母は笑わなかった。父は難しい顔してた。兄もあまりしゃべらなかった。
それ以前に、あんまり家族4人で食卓を囲んだ記憶がない。一家団欒は縁がない言葉だった。

小学校中~高学年。平日はほぼ塾通いしていた。今も覚えている。19:00~19:10の間に、小腹を満たすために何かを腹に入れるのだ。家から持たされるとしたら、海苔がべったり張り付いたおにぎり。と、粉末を溶かしたポカリスエット。あの記憶が強すぎるのか、おにぎりは海苔を巻いたしっとりタイプは苦手だった。ポカリスエットは飲んだらたぶん、下手すると吐き出す。
もしくは、マクドナルドだったな。フィレオフィッシュを当時はよく食べてた。それか、ナゲット。
あの頃って今よりハードスケジュールだったな?

中学~高校。
父は説教を垂れるのが好きだった。日曜の午後に「ケーキを買ってきたから食べろ」と召集され、出されるのが不二家の黄色いモンブラン。ケーキを免罪符に、よくわからない説教を数時間聞かされた。
今も黄色いモンブランは大嫌いだ。殺意が芽生える。

条件付きの愛情しかもらった記憶はない。それでも愛情で、衣食住の不自由なく、教育受けさせてもらったのはありがたい。私には向いてなかったが。
愛情をもらうための条件が、コロコロ変わるのはキツかった。特に、母。自分の言葉を、数か月後には忘れて、こちらが大ウソつき呼ばわりされて逆ギレされた。
たぶん50代でもう、軽くボケだしてたんだろう。
当時はそれがわからず、真面目に受け止めては混乱していた。

結婚して築く家庭に望みを託してた。
あの頃執着してたのは、“家族そろって晩ごはんを食べること”。成功体験なさすぎて肩に力はいりすぎて、詰んじゃって家出してしまったが。

計画性皆無で家出したので、自炊できるまでにしばらくかかった。
それまでに食べた冷たいご飯の数々が心身に堪えた。食事への執着が強くなったのはあれがきっかけ。
金がなかろうが、温かくて、人の手が掛けられた物を食べないと、人としての根幹が損なわれる。堕ちるとこまで堕ちるな、コレ。とぞっとした。

落ち着いたあるとき、自分で作った些細な食事を改めて眺めたら、すげー奇跡が無数にも重なって存在する宗教がかったものに見えた。
どれだけの人の手を介したんだろう。どれだけの生命がここに凝縮されてるんだろう。
私はこれを調達するだけの収入を得て、エネルギーを割いて、自分のために作ることが出来たんだなー……と。
生きたい、活動したい、よりよくなりたい、と願ったから、この食事は今、私の目の前にあるんだなーと思ったらとても尊いものに見えた。
まー、ガツガツ食ったけど。

『美味しい』には3種類あるのかな。
ひとつは舌で感じる美味しさ。美食ってヤツ。
ひとつは脳で感じる美味しさ。生理的なヤツ。
ひとつは記憶、感情で感じる美味しさ。
私が執着強いのは、みっつめだな……こんなメモ魔なんだから。記憶や感情を大事に抱え過ぎてる。
それを差っ引いても、一番威力があるのは『記憶』『感情』なんじゃないかな……

実家の近くに引っ越して半年が過ぎた。ずいぶん母が変わった。
家からたった80m先の大戸屋さんに行くのすら大抵抗していた母。
その人が、先月、父と一緒に実家に里帰りした。法事で。
その前に「迷惑を掛けたら嫌だから」という私には謎だが、母には筋の通った理屈で、自ら自分の悪いところを診てもらいに病院に何度も行った。脳みそ診てもらい、皮膚科に行き、耳鼻科に行き、電車で30分以上かかるところにも、ひとりで。
その途上で、必要な知識を自ら仕入れ、私や兄の話に耳を傾け、通りすがりの方に道を聞き、病院で自己主張をし、疲れて帰ってきたらしっかり休み……そして、自分を責めなかった。
すげー偉業で冒険で……武勇伝を聞いて、もうなんていっていいかわからず感動した。ここまで変わるか?
そして十年以上ぶりに母の血筋の親戚たちに会い……素敵な食材と、話をお土産に帰ってきた。
ふきのとう。芋がら。切り干し大根。
どれだけ向こうの奥さんが料理が上手か。ふきのとうをどれだけ丁寧に摘んで剥いてくれたか。芋がらと大根を干して、ゴミを取り除いて。手間暇掛けて。
向こうで私の話をたくさんしたのだ、と。
連れてきてくれる父は本当に優しいねぇ、ラブラブだねぇ、と散々言われた、と。
いろんな話が3週以上するのをうんうん頷きながら聞き、スープにふきのとうと芋がらと切り干し大根を大切に入れた。美味しかった。ふきのとうは私には苦かったが(´Д`)

母は髪が増えたそうだ。黒いのもずいぶん増えた。鏡を嬉しそうに見る姿は女性として、私よりちゃんとしてる。
浮腫みが取れた、骨がゴツゴツする、と手足を示す。私と同じ現象で頷く。
記憶が前よりしっかりしてきた。私よりもときどき、記憶力がいい。
少し料理をするようになった。あの超薄味のブリ大根は本当に絶品。あと、調味料一切なしの、ほうれん草入りの卵焼き。どっちも私仕様。
そして毎朝、差し向かいで時間を過ごす。2回に1回くらいは一緒に食べる。
「美味しいー!」
と互いの料理を褒め称え合う、謎の儀式を執り行っている。

「美味しいって言われると、作るハリが出るね!」
「お父さんもお兄ちゃんもぜんぜん言わないんだもん。」

だから作らなくなったのか。あのふたり、私にずいぶん『料理を作らなくなった』とグチってたが、そんな反応じゃ作るわけなかろうに。
……私が美味しいって喜ぶから……そうね。

ひとりで作って食べるスープは美味しかった。
でも、母とふたりで食べるスープは、もっと美味しいのだな。入れてるモノ、ひとりのときと変わらないのに。
幼い頃、見たくて見たくて何をしてもどんなに切望しても叶わなかった母の笑顔。
今は毎朝、見ている。

週末は4人で食卓を囲む。
最近ようやく落ち着いたが、先月くらいまでは母が毎回泣くのが困った。
「こんな日が来るなんて。」
悪かったってばさ。

週に3~4回、まとめてスープを作っている。母や兄に大変だろうと労われるが、そもそもひとりでも作るものだ、大して苦にならない。黙々と切って煮るのは、よい気分転換。
しかもお代が。
母の笑顔。ツンデレ兄がデレを垣間見せて食べる姿。仏頂面の父の、見えづらいところでデレる顔。
ねぇ?

うちは単に全員が、こうして一家団欒したかっただけなんだよな。不器用で40年かかったが。今も板についてなさ過ぎて、おままごとみたいだ。
だが今、こうしているのは単に運がいいだけだ。他人様に勧める気には到底なれない。
外的要因に依らずとも、人は自分で自分をしあわせにする最低限度の力を持ってる。今もそう思ってる。
私もほんとは家族に依らずに、ひとりでも自分をしあわせにしようと思ったんだよな。それも功を奏してるのだが。
その途上で、なぜか外的要因も整ってしあわせがもたらされてきてる。必要な成長、だったのかな……

私が栄養改善されたことで、ずいぶん広がったものだ。
実家と復縁できた。母が変わり、実家の雰囲気がガラッと変わった。
娘に会うことも叶った。だけでなく別れた旦那とも笑って話すようになった。
一家団欒する箇所が、2か所……なんだそりゃ。ありえん。
友人も増えたな。他愛もない話を出来る人が増えた。
トレーニングの話を出来る人も増えた。共通項があるから話が弾む。笑う。ときどき安心して、恥も外聞もなく、泣く。
それで疲れて、笑って美味しく食べる。

人間だれしも、望むことはこのへんに行きつくんじゃないかな。
毎食じゃなくていいから、心を許せ、言語が通じる人と、楽しく笑ってごはん食べたい。好みと志向によって、細部が違えど。
たぶんそれが出来てれば、自分のことがんばれるんじゃないかな。栄養成分だけじゃ、大切な何かが足らないんだと思う。人の想いは、確かに何か、力を持つ。
それが足らないと、私のように迷走するし、母のように早くに脳みそボケだす。
20代~40代なら恒常的に孤食でも自力でどうにかなるが、それ以前・以降は心身に影響が出るんじゃないかと感じる。

たぶん、あんまりにも”がんばれない”なら、根本的な理由がある。か、最適なやり方をしていない。単なる甘えの可能性も高いが、私にはまだ識別が付かない。
ただ、理由があるなら、それを解消せずに、意識だけでがんばろうとしても失敗するし、追い詰められて自責で詰む。母のように。私のように。
母に必要だったのは「美味しい」の言葉。会話。
私に必要だったのは『このままじゃほんとにマズい』と追い詰められること。
そしてふたりともに足りなかったのは、知識とスキル。
本当にちょっとしたことで激変するのだ。

うちの実家で起きた変化が、もっと手軽に、もっと遠くまで、届けばいい。再現性を持たせて、もっと広範囲に。
私に向いてるのは、これを広げることだろう。
ひとりでも多くの人が、気が置けない人たちと出逢える可能性を高められたら。
食事相手を、家族を、友だちを、作れたら。壊れてもまた修復できたら。そんな力を持てたら。
それが出来るだけの力を得られる食事……あれが、知識でスキル。
詰んでたあの頃の自分にも届くくらいに、拡散したい。
それこそが、私に導き出せるかもしれない、最大公約数的な最善解だろうな。うちらの作るゲームの大きな柱の1本になる。屋台骨に近いかも。

“母の笑顔が見たかった。”
あの切望が、私の人格形成に強く影響を与えている。
“笑顔が見たい”が、私の根っこになった。
笑顔……だから誰かの望みと重なりやすい。同時に、分離が難しい。
そして度が過ぎると暴力になるし暴走する。やりたいことが拡散なら、へんなもん混ぜちゃダメで純度を高めねば。難しい、が。
さらにその奥。恐らく、1番笑わせるべきは、自分だろな。自分じゃ見えないから死角で盲点。でも自分が笑わねば伝播すまい。
私が1番笑うのは……それが結局は、純度の高い私の望み、か……
私は心から笑えているか? それが唯一絶対の尺度、か。

まだバランス悪くて不安定だが、ほんの少しだけ、視点が変わる瞬間がつかめた。新しい感触がする……これを獲得できたら、暴力的な側面が削れたうえで、もっと自由になれる、か? 安定度が増して、”暴走”だったのを、”推進力”に転換できる、かも……?
試していかねば。
せっかく生まれてきたのだ。使い切らないと、損だな。

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