何かを”辞める”理由 / ちゃんとした人間になりたい

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加圧は、真面目な話に終始。

17.04.15(土)【GSA】パーソナルトレーニング(加圧0.5h):上田さん
ずいぶん多岐にわたってお話してたような。
仕事なりダイエットなり、人が”何かをやめる”のは、期待通りの結果が得られないから。費やしたエネルギー、コストに対してガッカリして「こんなはずじゃなかった」と思ったらやめる。
過去のもろもろを思い出すと頷ける。とすると……
脳裏に浮かんだことをそのまま、上田さんが口にする。

「”期待通りの結果”を誤っている場合も多々あります。」

「例えば8時間働いて5000円しかもらえなくてガッカリしてやめる場合がある。でも最初から『この仕事はラクだから8時間で5000円』と知ってるならやめないですよね。」

「つまり大事なのは『知る』こと。」

そして長期的展望を”適切に”描くこと。

「例えば、ダイエットの目的を『異性にモテたい』にすると難しくなります。なぜなら、瘦せたからといって異性にモテるとは限らないからです。」

ですよねー……例えば異性と接する機会が皆無な環境にいるのに瘦せたって異性にモテるのは無理だわな。だったらやるべきは異性に出逢いに繰り出すことだろう。見誤ると迷走する。

だから最近の私の曖昧な課題はこれを明確にする必要があるのだ。

『私はどんな人間になりたいのか?』

格闘技をすることでそれが達成しそうな予感がするから、やっている。そしてどうやら私は自分を『格闘技する人』とは言えても『格闘家』とは言えず、人から言われると凄まじい勢いで固辞する。自分でも、何もそこまで、と思うほどに。なのでそんな自分はコンプレックスで情けない。
あのときに自分の中に何が起きてるかを掘る必要がある……
例えばそれが『人間にはムリな完璧な像』を設定していたら修正する必要があるから。例えば『人をキライにならない』とか『ミスをしない』とか。そんなん目指したら詰む。
私はちゃんと、自分に達成可能な人間像をそこにおいているか? そしてその実現には格闘技に取り組むのが妥当なのか?
気付けば上田さんの話をロールモデルとして聞き始めていた。上田さんのパターンを知ったら、自分に当てはめたときに何か見えてくるだろうか?

話は格闘技を続ける理由に流れる。
上田さんが試合に出るのは、”練習を続ける”ため。試合に出るって口実がないと練習をしないから。

……と仰るが、そんなことないですよね? 思わず笑ってしまう。これまでの言動を思い浮かべたら明らか。やめるの無理でしょう、格闘技に触れてる上田さんはいつも楽しそうすぎる。

試合を口実にせずとも好きな練習はするはず。とすると練習の強度の話かな?

「好きな練習だけしててもまだまだ強くなると思いますよ。」

「まだ得意な分野でも全容の1割にも達してないと思います。」

想像を絶する。私にはよくわからない世界だ。が、となると??
負けるのはやめる理由にならない。試合に出られなくとも。
逆に勝つために試合に出たい方々もいて、そういう場合は負けがそのままやめる理由になる。
……なんとなく思うが、そういう方々のほうが一般的だろうな。もしくは有名になるため、お金を得るため。どちらも格闘技で叶えるのは難しいし労力に見合わない……
格闘技人口が増えないひとつの要因だろうか。
“格闘技を通して得られるモノが、実態とイメージで乖離している”。ふむ?

ではなぜ格闘技を続けるか? 何を実際は得られるのか?
上田さんから出てきた答えは”ちゃんとした人間になりたいから”だった。
これは小学生の時に体操を通してどうなりたいか、の回答として出てきたものだそうだ。それはそのまま格闘技をやる理由に受け継がれている。

なんだかそれはとてもしっくりきた。私自身の動機としても。
だが、何かが違うな……?

上田さんは”がんばるため”、が大きそうな印象。
だがそれは、私にはないな……皆無ではないが、比重が低い。とすると、なんだ……?
うーんうーん……過去に上田さんのお話を聞いていて、自分には当てはまらないと感じた個所は?

1番は、アレだ。
食事にかけるエネルギーを限界まで削りたいってお話の中で出た、”食べなくて済むなら機械化も厭わない”、”睡眠もそう”ってヤツ。
なるほど、と理解したし一理はあると感じる。が、私の場合は自分がそうなりたいとは思えないんだよな……
コストを限界まで削り、費やすべきは表現。しごく納得する。が……比重、か?

と思いついて腑に落ちた。
“ちゃんとした人間”の定義だ。私の中で”ちゃんとした人間”の定義の筆頭に位置するモノ。
それは、”人間に生まれてきてよかった”と満喫してることだ。
私の一番根深いコンプレックスは、そこだものなぁ……生きたいと心から願えないのは、生命体として根本的に欠陥があると思ってる節がある。それが真実かどうかはさておき。
リングの上の格闘家の方々に憧れるのはそれだ。満喫、してるものなぁ……生きてることを。勝った方も負けた方も。眩しい。
そういやそれが一番派手なのも、上田さんか。それも憧れるひとつの要因か。
あれは気持ちよさそう。だから試合に出てみたい、リングの上で見える景色を見てみたい。なるほど……

でも満喫できるなら、勝利どころか試合に出るのも必須条件にはならない。
私にとっては練習だけでも充分すぎる。
練習してるときに感じる自分の心身の躍動感は、生きてる実感を呼び起こさせる。
脈が激しくなる。心臓が動いている。呼吸を求めてあえぐ。汗が拭っても拭っても滴り落ちる。
自分の身体が生きていて、生きるために最大パフォーマンスを発揮しようとしてるのを感じる。表層意識がどうあれ、私の身体はちゃんと生きたいと願い、生きるために最大限の力を発揮したがってて……だから、喜んでる。”ああ、ちゃんと私は生きたいと願えてるんだ”と幸福感がじんわりと押し寄せる。
でも単なる運動やトレーニングじゃ足らないのだ。格闘技じゃないとダメなのだ。
怖さに悔しさ。それでももっとうまく、よりよくなりたいと願う欲望。
これこそが人間に生まれたことを満喫できる術。
どうしたらよくなる? 何が起きてる? 考えることが尽きない。仮説のロジックは私でもなんとか炙り出せる。それを実際に検証していく楽しさ。ワクワク感。
たったひとつの正解がなくて、自分の心身で検証するしかない。まさに自分の心身でないと出来ないこと。
そしてそれを認めてくださる方々。たくさんの練習を積んで実現してみせるあの姿。惜しみなく与えてくださる知識とスキル。
そんなん楽しくて仕方ないよなぁ。やったらやっただけ何かしらが返ってくるんだもの。うまくいかないことすらご褒美。
格闘家の方々ほど、生きてることを満喫してる人種っていないんじゃないだろか。喜怒哀楽が激しくて。だからだろうか。見ていて魅力的で素敵すぎる。
だから、書いても書いてもネタが尽きない。書くことが習性の私にとってこんな喜びはない。
そりゃ、生きてる限り、格闘技をせずにはいられないよなぁ……

私にとってはこの生身の不自由な身体が大きく意味を持つ。
“生まれてきてよかった”はこの心身で感じたい。扱いづらくて捨てたくなる欲も醜さもぜんぶひっくるめて。
不自由だからこそ、表現は豊かになる……

モノに依るのだろう。何を、表現したいか。

上田さんの場合は格闘技と身体作りに特化してるから、かな。
私は不自由な心身に振り回されてた過去の自分みたいな人に届けたいから……この不自由さを完全に捨てるわけにはいかない。
てところだろうか。たぶん。

ふむ。少し整理ついてきた。
“生まれてきてよかったと思いたい。”
“人間だから出来ることをやり尽くして満喫したい。”
ならば、どんな人をこそ、私は人間らしいと感じるか、だ。それこそがなりたい自分。
ならば、ムリな設定ではないし、格闘技で間違いなく解に辿り着く。
だって憧れてやまない素敵な方たちばかりが、集っているのだから。

久々にこの方のまとまった文章を読んだ。

クリエイティブの源なのかな、と。そして実は少なからずいるんじゃないかなとも。
この方の文章に初めて触れたとき、世界が広がって見えたことを思いだす。
社会に適合しづらいのも、使い方によっては特質かもねぇ……

[Facebok記事]

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